3日目 雨の摩周温泉
3日目 雨の摩周温泉
朝8時。窮屈なテントの中、足先に触れた朝露の冷たさで目を覚ます。昨夜からの霧雨で、テントの中はジメジメとしている。
テントの内側のファスナーを開け外に出る。空は明るいがまだ霧雨が降っている。長袖シャツを着ていても肌寒い。
大きく深呼吸をして高原の空気を吸い込んでみる。牧草のいい香りがする。
体は疲れていた。足を中心に筋肉痛があり、全身にだるさを感じる。慣れないテント泊で熟睡できなかったせいもあるかもしれない。
「ウィダーインゼリー」で軽く朝食を済ませ、出発の身支度を始める。周りの宿泊者たちは既にテントを解体し、続々と出発していた。
昨日テント張りの際にお世話になったライダーはまだテントの前で朝飯を作っている。
出発前に挨拶をしに行く。
「昨日はどうもありがとうございました。」
「気にしないでいいよ。今日は摩周湖に行くんだったっけ?」
昨日の会話の中で旅の予定を話していた。私が返事をすると
「じゃあ、結構近いね。昨日ちょっと地図で調べてみたんだけど・・・」
彼は楽しそうに、どの道を通った方が良いとか、どこの温泉に入ったほうが良いとかアドバイスをしてくれた。
当事者の私よりも熱心に調べたようだ。
「ありがとうございます。今日はどちらへ行くんですか?」
「ん?今日は雨だからね。ここにもう1泊していくよ。」
彼は、何をそんなに急ぐことがあるのか、といわんばかりの表情でそう答えた。
そういう選択肢もあるんだな。限られた時間の中で旅をする私にはとうてい真似できないが・・・。
重ね重ねお礼を言い彼と別れる。
霧雨と朝露に濡れたテントを解体する。できる限り水気を切ってから収納袋に詰め込んで、出発準備完了。
天気こそ悪かったが、色々と思い出の残る多和平キャンプ場に別れを告げる。
摩周までは、2通りの行き方があって、1つは多和平の南側を走る国道391号でのルート、もう1つは多和平の北側を走る国道243号でのルートだ。
地図上の距離で若干近い、国道243号を通ることにした。
自転車をこぎ始めたが体が重い。太ももやふくらはぎ等に疲労が残っていることを感じる。
多和平からしばらくは下り坂を道なりに進み、南北に走る牛熊農道に突き当たったところで右折する。このまま直進し国道243号を目指す。
どんよりとした曇り空の下、人気のない農道を黙々と進む。長袖のウインドブレーカーと膝までのトレーニングパンツという格好だが、依然として霧雨が
降っているせいか、体温は上がってこない。

牧場に囲まれた道を進む
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30分程で国道243号に入る。国道とは思えない道の狭さだ。今まで走っていた農道と大して変わらない。そして意外に交通量が多く、特にダンプカーが多い。
しばらくは牧場に沿って平坦な道が続いたが、やがて道の両側に森が現れるとともに、登り坂が多くなってきた。さらに追い打ちをかけるように雨足が強くなる。
もはや霧雨ではなくなっていた。
汗と雨で視界が悪くなる。雨に濡れた服が、肌にまとわりつき、ただでさえ重い足取りをいっそう重くさせる。
何が楽しくてこんな雨の中、重い荷物を積んで、疲れた体で坂道を登るのだろうか。次第に精神的にも参ってきた。
その時、反対車線のライダーがパッシングをしながら
すれ違いざまに親指を立てて、「ガンバレ」のサインを送ったのに気付いた。
その後も反対車線を続々とライダーの一群が通り過ぎ、全員がすれ違いざまに
「ガンバレ」のサインをしてくる。後ろから私を追い抜いていくライダーもバックミラー越しにサインをしてくる。
これには勇気付けれた。こっちも挨拶をし返すので、それに気を取られ、疲れを忘れてしまった。こんな連帯感は生まれて初めてだった。
左右を森に挟まれた坂道もやがて終わり、摩周の町に近づくにつれ、自動販売機やホクレンなどの店が現れてきた。
南北に並行して走る国道391号と243号は摩周の中心街の辺りでいったん合流する。昨日風呂に入っていないので、体が汗と雨でベトベトして来た。
早く温泉に入りたい。
しばらく進むと、「ようこそ摩周温泉へ」という大きな看板を
発見した。
しばらく温泉街をさまよったが、なかなかこれといった温泉が見つからない。近くの商店のおばちゃんにどこの温泉が良いか尋ね、
道の駅「摩周」のちょっと先にある民宿の温泉に入ることにした。
田舎の一軒屋風の普通の家のような民宿。道路から少し細い道を進み、その庭にずかずかと入り込む。
砂利の敷き詰められた庭の植木に自転車を立てかけて、裏口にいたおばさんに温泉に入りたいと声をかける。
すると受付らしいお姉さんが出てきて、料金やロッカーの使い方などの説明を丁寧にする。
庭ではその家の子供たちがお父さんと遊んでいる。何か本当に普通の家の風呂を借りるみたいで変な感じだ。
脱衣所に入り濡れた服を脱ぐ。両腕が日に焼けて真っ赤に腫れていた。
風呂は屋内にひとつとその奥に露天がひとつあった。まずは屋内の方で体を洗う。決して広いとはいえないが、貸し切り状態だったのでのびのびと過ごす。
シャワーでお湯を浴びると両腕と顔が熱湯をかけられたようにひりひりする。
昨夜は湿度の高いジメジメしたテント内で過ごし、今日は朝から雨に濡れていたので、全身をきれいに洗い流すとすごく爽快だ。
湯船に入る。かすかに硫黄の匂いがする。血行が良くなり、昨日からの疲れが一気に癒されるような気がする。思わず「・・あ〜〜最高〜!」と声をあげてしまう。
一通り温まると、ガラス戸を開け屋外に出て露天風呂に向かう。あいかわらず小雨が降っていたが、外の空気は新鮮で、鳥の声や川の流れる音が風情を醸し出す。
岩でできた湯船につかりながらぼんやりと空を眺める。厚い雲から小さな雨粒が落ちてきては湯船に水紋を作っている。
落ちてくる雨粒はおそらく、まさか自分がこの露天風呂のお湯の一部になろうとは思っても見なかっただろう。
それと同じように、今ここでこうしている私は
つい1〜2週間前の私からは想像もできなかった。
人間も本来は自然と同じ様に、常に変化し1秒たりとも同じ所にとどまってはいない。
ただ日常生活をしているとそんなことはついつい忘れてしまいがちだ。
見知らぬ土地への旅は自分の価値観を変えてくれるので、「人間は変化をする」ということを
改めて感じさせてくれる。
風呂から出ると雨は上がっていた。私の気持ちも爽やかになっていた。まさに「万物は流転する」ということなのだろう。